LE PIN

1996年3月13日 MMC 41st Meeting (ポムロール特集)の資料より

マダム・ルビエ(Hme Loubie)は1924年ル・パンの中心となる小さな畑を取得。ワインはAOCポムロールのジュネリックワインとして完られていた。1979年3月マダムが死去し所有権は100万フランでマルセルとジェラルド・ティエンポン(Marcel and Gerard Thienpont)の両氏に買収された。この当時の総面積は1.6haにも満たない広さであったが、1985年ティエポン家はある地方の柁屋から別の貴重な畑を取得することがでさた。この区画の半分は植え替しなければならず、残りの区画はいくつかの古いカベルネ・フランが含まれていたが、はとんどは樹齢30年のメルロが栽培されていた。それゆえにル・パンはシャトー・ペトュスのように本質的にはメルロ100%だと言及するのは間違いではない。
ル・パンの畑はポムロールの高台の心臓部にあり、プテイ・ヴィラージュ、ラ・ヴィオレット、トロタノワ、ヴィユー・シャトー・セルタンに囲まれている。従って土壌はクラス・ド・フェー・ル(crasse de fer)と呼ばれる鉄分を多く含む下層と砂利と砂を少し含んだ粘土の上層となっている。この場所の粘土はヴィユー・シャトー・セルタンをほとんど覆っている粘土よりも広く深さ2.5mまである。また、ここの土壌は肥沃ではなくマダム・ルビエは畑の手入れをする余裕がなかったためティエポン家時代までの間はそのままの状態であった。その結果収穫量は非常に少なく、通常1ha当たり30ヘクト・リットル以下である。高品質のワイン造りにはかえって良いことである。
ル・パンはステンレス・スチール槽でぶどうの粒のまま温度を保ちながら1週間または2週間発酵させる。この第一次発酵とマセラシオン発酵の終了後、槽から抜さ出しオークの樽に移し換えられる。そこでマロラクティック発酵が行われ瓶詰めまでに18〜24ケ月熟成させられる。
ル・パンは1979年と1980年の生産が少量であった為に1981年が実質のファースト・ヴィンテージである。ル・パンのぶどう園と醸造所が良質のワインを生産することになるまでに時間はかからなかった。その時からル・パンはすでにスーバー・セカンドとしての名声を急速に得た。この一つの根拠によって高額で取引されるようになった。品不足である事がもうひとつの理由であることは言うまでもない。現在、年間僅か1,500本の生産で、そのうちの3/4が英国へ売られる
THE VINE / CLIVE COATES MW No.87 (APRIL 1992
写真は1992年9月撮影

     

1992年夏、ネゴシアンのムッシューと共にオー・トロショーへ行く途中このル・パンへ(目と鼻の先)寄り道しました。人は住んでいるような気配ですがここではワインは造っていないようです。故マダム・ルビエが住んでいたのでしょう。屋取のすぐ下の璧に楕円形のプレートにChateau du Pinと刻印されていましたが、あまりにも薄く消えかかっていたので写真にはうまく写りませんでした。
その後の情報によると、ここではワイン造りを行っていると聞きました。

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